#9 繭 あとがき

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Afterword -あとがき-

ー服を選ぶ。
ー献立を選ぶ。
ー今日聴く音楽を選ぶ。
ープレゼントを選ぶ。

普段からあたりまえにしているそれらはすべて創作だ。
そしてそれは紛れもなく“私”から生まれるものなのだ。

ロボットには“私”がない。
人間らしい振る舞いをするAIの研究が未だ完成をみないのは、この“私”たることの「自我」の能力を持たせることができない為だとか。なにかの文献にそう書かれていた。

人間である以上、人は自我として存在する。
そんな揺るがないはずの自我が、脅かされそうな瞬間がある。
例えば何かに迷った時、わからないことがあった時、Googleに訊けばなんでも教えてくれるのだ。
最適化された情報がすぐに手に入ることで、私たちの行動そのものが最適化されているようにさえ感じる。
しかし「ムダ」が排除されることによって生まれた自由な余白に、いったい何をしてよいものかと。
全くわからなくなることはないだろうか?

気がつけば私自身、自分で考えるという時間が減って“何者かが教えてくれるモノ“への依存が増えた。
こんな状態でツイッターやSNS、YouTubeなどから大量の情報に触れ続けるとどうなるだろうか?
きっと、自分が何者であるかわからなくなるのだ。

人は脳の構造上、ネガティブなものを受け取りやすいといわれている。
モノも情報も手に余るほど溢れている今、“私”が不在のままサウンドバックのように受け取り続けたのなら……

私は壊れそうになって、気がついた。

どこへ行っても雑音に溢れる。
本当に聞きたい声が埋もれてしまう。
本当に知りたいことも埋もれてしまう。
私がしっかりと“私の所在“を持って臨まなければ、私は私でなくなってしまう。

この曲は私が生きている限り逃れようもない雑音がある現実と、それでも失ってはならない“私の所在“、そして私の生まれる場所が確かにあることを、自身が忘れることがないようにと。
そんな想いから描いた。

もしも――

漠然とした不安や、やり場のない悲しみを持っている人がいたのなら、思い返してほしいと思う。
静かな音のない場所で、誰も傷つけない誰も傷つかない、あなただけの故郷があることを。

――その場所への行き方などとうに忘れているはずなのに、私たちはその場所を知っている。

2021.2.17.悠実